政経倶楽部【東京】第90回例会 6/7木(朝食会)

日時:2012年6月7日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

地域活性化の明日を拓く!

■講演 溝畑宏氏 「地域活性化の明日を拓く!」
前観光庁長官 内閣官房参与 大阪府特別顧問 京都府参与

【略歴】1960年京都府生まれ51歳・東京大学法学部卒業後、自治省(現総務省)入省。1990年大分県庁に出向。99年自治省に戻り、翌2000年再び大分県に出向。2006年総務省退職。この間、94年クラブ発足時から運営に携わるJリーグ「大分トリニータ」では2004年に代表取締役就任、2008年にはナビスコカップ(J1)で優勝、日本一の栄冠に輝く。2009年に同代表取締役を辞任。2010年1月から2012年3月まで観光庁長官。5月より現職。

【1】自己紹介
●観光庁長官として日本国中走り抜いた2年3か月
 私は3月末までの2年3か月、観光庁長官として、日本国中、全力で現場を走り抜いた。信条は「あれやれ、これやれ、能書を言う前にまず、自分が動く」。多くの方と本音で語り、叱咤激励、涙を交わした。まず感謝を申し上げたい。

●「成功のイメージを持つ」「味方を作る」。それがリーダーの仕事だ
 私は今まで、たくさんの逆境を経験し、常にそこから這い上がってきた。
「人生、大きなチャレンジをしようと思ったら必ず逆境に突っ込んでいかなきゃならん」。評論家である人は一生評論家で終わってしまう。ぶつかって、歯を食いしばって這い上がっていくのが、成功と成長の証し。大きなことを成し遂げようとする時、常にリスクを背負う人生を歩んできた。何かプロジェクトをするときに、“そこで語る人間ではなく、何か一歩踏み出す人間”でやってきた。
 自治省時代は、消費税を作るという恐ろしいうねりに20代で飛び込み、批判にさらされた。1999年の市町村合併に携わった時も多くの批判を浴びた。
だが私は、批判や中傷にはめげない。私には、常に「こういう日本になってほしい」という成功のイメージがあり、それがすべてだ。
 90年に出向した大分県を、サッカーで元気にしよう、とワールドカップ招聘の夢を語り94年にチームを作った。当時小学校1年生の清武弘嗣(現日本代表)に「この大分でがんばって世界に行こう」と言った。言い続けてあきらめない。あきらめないでまっすぐ行くと、必ずチャンスはある。「鳥の目、魚の目、虫の目」。常に大局を持って、成功のイメージを持つ、これがリーダーの仕事だ。
 若い人には「失敗を恐れるな。失敗して悔しいと思うことが最大の教訓だ」と伝えている。その組織に入った限り、絶対に愚痴や不平不満は言うな、と。私はどんな職場に行っても、その中で、自分なりに主導権をとることを考える。味方を作らなければ、大きな仕事ができない。それがやはりリーダーの仕事だ。
●「面白い、楽しい」が判断基準
 私の行動は、「面白いな」と思うところからすべてが始まる。面白くないことはやる必要がない。「これやったらみんなが幸せになるな」、「地域が元気になるな」と絵が浮かんでくる。判断基準はそこにある。自分が偉くなるなどの、保身も防衛もない。それは、両親のおかげだ。すべの原点は、教育にある。

●父からは「自助自立」、母からは「元気と明るさで目立つ」を受け継いだ
 亡き父は、気骨ある男だった。学徒出陣で自ら志願しシベリアに行った。戦死した同僚たちのためにも絶対に日本を変えなくてはと思い、「数学から日本を変える」と自費でフランス留学をし、京都大学の数学の教授となった。
 父は「地球儀」を見せながら子供たちに言っていた。「世界の大きな舞台で仕事をしろ」「どんな分野でもいいから世界のトップを目指せ」「生きることは競争だ。だが競争は勝ったら負けた奴を労わる。負けたら悔しく思い、勝った奴を褒めろ。」「失敗してもそれが成功につながる、この繰り返しだ」。
 口癖は「自助自立」「言い訳するな」「泣き言いうな」。不平不満を言うと、一本背負いで、投げ飛ばされた。
 亡き母からは、目立つことが大事だと、徹底的に教え込まれた。小児ぜんそくで、体が弱くて、下を向いている宏少年に、「宏ちゃん、一回しかない人生、目立って、目立って目立ちまくれ」「目立つといじめられるかもしれないが、ぜったいそのほうが早く転換できる」と言い続けた。
 元気で、明るく、なんでも言い合い、認め合う。そういう社会を作りたい。まずは自分自身やれることからやろう、これが私の人生だ。

●本気度を示してこそ、「みんなの力」が結集する
 今の日本に欠けているは、「みんなの力」。コミュニケーション能力だ。「この人についていく」、「この人となら一緒にリスクを背負う」の思い、力が結集すれば、ゼロからのスタートでもできる。ただし10年かかる。その覚悟はいる。
 Jリーグで日本一になれた要因は、本気であることを示したからだ。大分の小さな都市でお金も集まらず、なかなか協力も得られない。
「こいつは腰かけでどうせ東京へ帰る奴だ」と思われていた。そこで、公務員を辞めて、退職金もすべて会社につぎ込み、借入金も自分の金を入れ、すべての魂を注いで、この地に共に死んでいくことを示し、初めて「溝畑、本気や」「助けてやろう」と皆がついてきてくれた。
 今まで私は、多くの決断をしてきた。ことごとく家族や友人は反対した。私が傷つくのを見たくないからだ。だが、いつも、リスクを背負って、正直に自分の道を貫いてきた。リスクを背負うことを覚えた瞬間、心が綺麗になった。

●死ぬまで名刺を持てる社会
亡き祖母は98歳まで名刺を持っていた。「上高野を美しくするばばあの会・会長」という名刺だ。構成員は85歳以上の6名。月会費2500円。会議は毎週。「美しい街並みを作ろう!」と、花や折り紙を各家庭に配る等、活動していた。
自助自立。国民一人一人が、「参加」し、「共生」する社会(誰しも名刺を持てる社会)。一人一人が世代、地域、職域を越え、「役に立つ」、「認められる」、「必要とされる」、「愛され褒められる」社会。このコミュニケーションパワーを醸成したい。こういう社会は失われつつあるが、まだ東北に残っている。私が幼い頃育ったヨーロッパにも残っている。こういう社会をもう一度作りたい。

●「ピサは世界で一番美しい街です」
観光の原点は、幼少期育った、フィレンツェのピサの小学校の先生の言葉にある。「ピサは世界で一番美しい街です、と言いましょう」。一日10回言った。「世界からのお客さんに世界で一番大きな笑顔と美しい声で挨拶しましょう」。
だから、私は子どもの頃から、「美しい」「愛している」「好き」という言葉にまったく躊躇がない。素直に、好き、愛している、と言うことによって、ますますアクションになっていく。

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