政経倶楽部【東京】第227回例会(朝食会) 1/11 木 のご案内
日時:2024年1月11日 開会:AM 8:00~AM 10:00 (開場:AM 7:30(※Zoom待機室開放:AM7:50))会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
『貞観政要』に学ぶ「トップの心構え」と「補佐役の在り方」
■講演 林 英臣 氏 政経倶楽部連合会 主席顧問・日本政経連合総研 理事長
『貞観政要』に学ぶ「トップの心構え」と「補佐役の在り方」
【林 英臣(はやし ひでおみ)氏 プロフィール】
昭和32年浜松市生まれ。松下政経塾一期生。東洋・日本思想家。林英臣政経塾塾長。
松下幸之助翁の直弟子として「政治家天命講座」を主宰し、その指導の下、約200名の地方議員や9名の国会議員(元職含む)、10数名の首長など、有為の若手政治家が多数育っている。
的確な将来予測は、時代を先駆ける経営者の指針とされ、論理的かつ情熱的な講義には定評があり、現代の吉田松陰や安岡正篤とも呼ばれる。
信条は、「人類の危機を救う根本思想家として生きること」。
著書は30冊を超える。最新著は『国是からはじまる新しい日本※原大本徹短編集3』。
一般社団法人 綜學社やまとことば語り部養成協会綜主兼代表理事。
趣味は武道、空手道・合気道・柔道など計12段。
現在、高野山大学院生でもある。
http://www.hayashi-hideomi.com/
貞観政要(じょうがんせいよう)
中国、唐の太宗と臣下との間の政治論議を分類・編集した書。全10巻40篇。約280条。唐の呉兢(ごきよう)の撰。治政の範として中国・日本の為政者にひろく読まれた。
貞観=唐の初め、太宗の時代の元号。政要=政治の要諦。
●今日の学びの要は「側近の忠告を聞けるか否か」
・貞観政要は、帝王学の本として忘れてはならない一書である。
・多くの為政者に愛された。
・日本では、北条政子、道元、日蓮、徳川家康ら。朝廷においてはご進講の際に、よく取り上げられていた。
・内容は、第二代皇帝、太宗の言行録。特に部下からの諫言(かんげん)。
・トップに対して部下は命がけで注意を促す。殺されても構わない覚悟で進言する。問題はそれをトップがどう聞くか。
・今日の学びは、部下や側近の諫言(かんげん)、忠告を聞けるかどうか。
・むろん聞く以上は、自分の中に信念、価値観がなければならない。それが前提。
●皇帝、太宗(たいそう)と側近、魏徴(ぎちょう)
・第二代皇帝の太宗は、兄弟の争いの中でトップに就いた人物。
・長男が後継に指名されていたが、次男の太宗が第二代皇帝となった。
・太宗は有能ゆえ兄弟に疎まれ対抗せざるを得なくなり、戦った。
・王朝の初期というのは混乱期。まだ反対派がたくさん残っている。
・反対派を沈めるのに最も活躍したのが太宗だった。
・太宗には諫言(かんげん)する役目の部下、諫議大夫(かんぎたいふ)が数名いたが、魏徴(ぎちょう)が有名。
・魏徴はもともと太宗の兄弟の部下だった。太宗側に捉えられ首をはねられる直前、「私の諫言を聞いていれば乱は起こらなかった」と言った。
・その態度を見た太宗は「こういう人物こそ側に必要」と魏徴を側近にした。
・魏徴にとっては一度死んだ命。命がけの諫言で太宗を支えていくことになる。
・貞観政要は太宗の死後50年程後、呉兢(ごきょう)という歴史官が編纂した。
・以後、帝王学の宝庫として、愛読されている。
・10巻40篇、約280条の膨大な中から、いくつか解説しよう。
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