政経倶楽部【東京】第95回例会 11/1木(朝食会)

日時:2012年11月1日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

政治家の大義~誇りある日本をどうつくるか

■講演 馬淵澄夫氏  民主党 衆議院議員 政調会長代理
「政治家の大義~誇りある日本をどうつくるか」

 政経倶楽部にはたびたびお招きいただいている。今日は、政局を含め、私なりの今後の見通し、民主党が訴えるべき方向性などをお話させていただきたい。

(1)政局・政治日程
●臨時国会の課題~①特例公債法案②一票の格差是正法案③国民会議設置
 このたび政調会長代理になり、実に1年数か月ぶりに野田総理と話す機会を持つようになった。野田さんの今の思いはひとことで言えば「目の前の国難である経済状況をなんとか立て直したい」。これに尽きる。
 従って、経済再生、雇用再生を実現していくために、来年度の予算編成、それに向けての特例公債、解散に向けての一票の格差是正、この2本の法案を通しつつ、予算編成を着実に実行していくという強い意志をお持ちだと思う。
 社会保障と税の一体改革成立後、具体的に決めなければならない社会保障の内容は国民会議に委ねることになっている。早期設置が喫緊の課題だ。

●特例公債法案
 11月内に特例公債が成立しなければ、予算執行が滞る。既に8月から財務省は各省にかなり強力に要請してきた。地方自治体への交付税に関してはもはや待ったなしの状況だ。具体的な資金繰りのストップを意味する。野党の皆さんもそこは理解されている。協力して必ず成立させる。

●衆院選挙制度改革法案(一票の格差是正)
 0増5減についてはもともとは自民党案だ。なぜ反対するのか。実はこの5減の対象選挙区が、高知、山梨、佐賀など地方部で5減にならなければ得られる議席は今のところ自民党議席の読みだ。「みすみす減らすな」と自民党長老からプレッシャーがかかっていると言われている。党利党略でしかない。だが、これを無視して選挙はできない。最終的には、通せると思う。

●社会保障制度改革国民会議の早期設置
 社会保障改革推進の国民会議は来年8月21日が法律提出期限だ。それまでに法的措置を講ずるには、原案を含めて6月くらいには固まっていないとならない。半年かけて十分な議論、ヒアリングを重ね、最終案に持っていくためには、これも年内立ち上げがデッドラインとなる。

以上、特例公債、一票の格差是正、国民会議の3つの課題がある。これらは通さざるを得ないが、野党は民主党の協力はいっさいしないという立場だ。その他の法案は一切通らない、というのが客観的な見通しだ。

●解散について
 政治は生き物なので何があるかわからない。
 仮に12月16日投票日の場合は、11月第2週後半に解散がなければ無理だ。これがずれると予算の年内編成が不可能になる。年内予算編成は12月28日がめどだ。16日に投票日が来て、そこから首班指名、組閣で、25年度の予算編成をするということは現実的にありえない。つまり12月末に政権が転がり込んできてもたまらんな、というのが自民党の本音でもある。
 野党にとって支持率が最も上がるのは3月末。予算委員会が野党の最も見せ場であり華だ。1か月のあいだ延々と、政権を火だるまにすることができる予算委員会を行って、3月から4月に解散、新年度を新政権でスタート。夏の参議院選挙、都議会選挙に向けてインパクトがあるメッセージを出せる。


(2)政調会長代理を受けた経緯~マニフェスト作りを通して信頼回復を
●昨年、挑戦した代表選~政策議論を掲げる大義
 昨年8月、私は民主党の代表選に立候補した。私の中では代表選を闘う大義があった。野田グループを離れたのは09年5月。以来、一匹狼として政界でやってきた。昨年の代表選は、菅直人総理の辞任を受けてのものだった。私は6月27日総理補佐官を退官した直後から意欲を示した。当時、後継指名に野田総理の名前がいち早く新聞に出た。
 昨年6月当時は、復興増税、原発問題の議論があった。復興増税は私は反対の立場だった。復興のように、複数の年次、複数世代をかけて実行していくようなものに対して、短期の償還期間を定めて増税を課すというのはまさに財務省の言いなりでしかない。復興は建設国債による、60年償還など長期的に考えるべきであり、短期の償還期間を設けるという発想そのものが間違っていると強く主張した。
また、原発問題で言えば「脱原発依存」という言葉を最初に発したのは私だ。
 まだ誰も手を挙げていない中で、後継指名などして野田さんの名前が上がる状況が果たしてよいのか、という疑問があり、オピニオンリーダーとして、政策の議論を掲げていく大義がある、と信じて、代表選出馬に決意をした。
 当選3回、無派閥の私には厳しい批判もあった。だが、無理だと言われるなか、20名の推薦人を確保し、代表選出馬を果たせた。結果は野田総理が選出、私の得票は24票。398人の国会議員の6.03%、完敗だった。だが、20名+そこに数票のったことは永田町のしきたりを破り、大義を掲げたことに一つの答えをいただけたと自負している。
 そこから今回の政調会長代理に就くまでの1年3か月は、無役を通すことになる。干されたわけだ。権力闘争の世界だから当然だ。まさかこんなことになるとは思わなかった、などと言う政治家は、代表選挙に挑戦する資格はない。
 以後、黒子に徹しながら、次期代表選挙への準備はしてきた。しかし、今回の代表選には手を挙げなかった。

image

※続きは会員専用ページでご覧いただけます。