政経倶楽部【東京】第177回例会(夜例会) 9/5 木

日時:2019年9月5日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

「経営の先にこの国がある令和に活かせ!政経倶楽部が目指す三理念 ~共生文明の創造、高徳国家の建設公益経済の確立」

■吉田 平 氏 ビィー・トランセホールディングス(株)代表取締役
一般社団法人政経倶楽部連合会 理事長 

「経営の先にこの国がある令和に活かせ!政経倶楽部が目指す三理念~共生文明の創造、高徳国家の建設公益経済の確立」


【プロフィール】

昭和34年11月27日生まれ(亥年、B型、59歳)妻と娘の3人家族
千葉県安房郡千倉町平磯生まれ 父方は商家、母方の祖父は陸軍将官
昭和58年 大学卒業後リクルート入社 主に営業および営業企画畑
平成7年(35歳) リクルート社退社 父の経営する団地交通、平和交通入社
平成19年 グループ3社の代表取締役就任
平成21年 第三セクター いすみ鉄道社長就任
平成22年 いすみ鉄道社長退任 千葉県知事選挙出馬、64万票得るも惜敗
平成24年 ビィー・トランセホールディングス(株)代表取締役就任
旅客事業グループ 売上30億、従業員数350名、車両170台
社外活動歴 千葉青年会議所、朝日ヶ丘中学校区育成委員会、中小企業家同友会、倫理法人会


今日は、経営者として政経倶楽部の三理念の話、そして、私の事業の背景と、政経倶楽部によって人生が変わったお話をしたい。

(1)原点から2代目へ…兄の存在、あこがれ、事業、夢

私の原点の一つは、兄の存在だ。2歳上の兄が大好きだった。いつも兄の後を追いかけていた。兄が中学で作ったバレーボール部に入部し、中高大と10年バレーボールに打ち込んだ。この原点が、45歳の時に表れる(後述)。
創業者の父は今年88歳になる。吉田商店(房総半島南の雑貨商)が何故タクシーを始めたかと言えば、雑貨商は売掛商売なので、現金商売に憧れたということだ。接待客を、館山に送ったら車代を現金でもらえたのがきっかけでタクシー会社を始めた。昭和40年創業、タクシー5台から始めた。今年創業54年目。現在170台の車両が動いている。
父のモットーは、「お客様を大切にする」こと。お客様のためにどうするかを常に考え、タクシー、路線バス、深夜急行バス等、事業を拡大していった。
明文化はしていないが、昔から一貫したポリシーだ。


(2)経営における“営”の限界(35歳から45歳まで)

私は大学卒業後、リクルート社に就職し営業畑で活躍したが、35歳の時に、父の会社に入った。父に「経営者であれば最後は自分で決定できるよ」と言われて決断した。
入社後すぐに、私は大型免許をとった。現場のバス運転手さんの立場も理解しようと、2か月半、バス運転をした。それがあだとなった。
私は、駅まで行っては休憩をとる運行を非効率だと考え、ダイヤ改正(10回運行から11回運行等)で労働強化したのだった。
結果、1年後に、日本で一番厳しい左翼系労働組合ができてしまった。 私の住んでいる900戸のマンション全戸に、経営者批判のビラが配られた。一番辛かったのは、運転手さんがビラを配る姿を見てしまったことだ。情けなかった。
だが1年後、労働組合はなくなった。その時、日経ビジネス系の雑誌記事に目が行った。それは、京都の上場企業の中で、理念のある会社とない会社の利益率の違いの特集だった。

労働問題を解決した直後の頭でっかちになっていた私は、さっそく営業理念を作った。それは「人が移動したいというニーズに対して、安心で快適なサービスを提供することを通じて社会に貢献する」というもの。
とにかく、人の移動を徹底的にやろう、という意気込みで作った。しかし、社員にはまったく浸透していなかった。前述したが、創業者の父の思いは「お客様のためにどうするか」というもの。明文化されずともすべての従業員に、浸透していた。創業者の思いは凄い。
私は営業理念を軸に、うまく商売をまわすことに傾注し、会社は儲かって行った。だがある日、京葉線開通で、4割のお客さんがいなくなり大赤字となった。そこで、路線バス以外に、企業の従業員送迎バスや観光バス等始めた。路線バス会社が新規の仕事を得ることは本来難しいことだが、リクルート時代に磨いた営業力で仕事を取って行った。

35歳から45歳までの10年間“営”に傾注した結果、売り上げは1.2億から5億へ。従業員は15名から70名へ。バス台数は11台から50台へと会社は大きく成長した。
だが、私の中には、ある思いがあった。自分の会社の為に一所懸命やることはいいことだ。でも、それだけでいいのだろうか、と。リクルート時代に培った営業ノウハウを10年で出し切ってしまった感覚があり、限界を感じていた。
そもそも、2代目は、既に会社があるから苦労が少ない。創業者と決定的に違うのは、根っこが足りないということ。種に栄養を送るのが大切なのに、目先の花を咲かせようとするばかりで、幹や根を育てる努力が足りない。
そんな時、運命の出会いがあった。

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