政経倶楽部【東京】第101回例会 5/9木(朝食会)
日時:2013年5月9日 開会:~ (開場:)会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
明治天皇と昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)
■講演 岡田幹彦氏 歴史人物研究家・日本政策研究センター主任研究員
「明治天皇と昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)」
【明治天皇】
●近代日本の奇跡的躍進は、明治天皇の存在あってこそ
近代日本の興起と躍進は、世界史の奇跡だ。有色人種の国家の中で、欧米列強に相対峙し、その最たる強国のひとつロシアに打ち勝つことができた国家は、日本だけである。近代日本の奇跡的躍進の要因は、国民を統合する核心であった皇室の存在にある。明治天皇がいらしたからである。
●軽んじられている明治天皇の存在
これほどまでに偉大な明治天皇の功績を、現代人はあまりにも知らない。
大手教科書会社の歴史教科書には、明治天皇の肖像画もなく、名前すら掲載がない教科書もある。孫文、毛沢東、レーニン、スターリンの写真が掲載されているにもかかわらずだ。ワシントンの名がないアメリカ建国の歴史がありうるか。ピョートル大帝の名前がない近代ロシア史を書き得るか。ウィルヘルム1世の名のない近代ドイツ統一の歴史があり得るか。
明治天皇のご存在の重さが軽んじられている。
●日露戦争開戦の苦悩
明治天皇の存在の重さを語るに、最も象徴的な歴史は日露戦争である。
日露戦争がどんなに困難な戦いであったか。その開戦にあたって明治天皇は苦渋の決断をされた。明治37年2月4日の御前会議で、対露戦争が決定し、ただちにロシア政府に国交断絶を申し入れる。フランスやイギリスの大使は「気の毒だが日本はもうおしまいだ」「日本はなんて無謀なことをするのだ」と言った。勝ち目はなかった。
地政学的に見てうまみのある日本は、やがてはロシアに占領されるか、世界の5強(イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ)によって分割され、戦わずして亡国の憂き目を見る運命にあった。ゆえに九死に一生をかけて戦いを決意したのだ。
「いよいよロシアと国交を断絶することとなった。わしの志ではないがやむをえない」「もしやこれが失敗したら何とも申し訳がない」。
明治天皇は皇后にこう語られたという。負けた場合、皇祖皇宗、歴代天皇、そして国民に対して申し訳がたたないと懊悩されたのだ。
●将兵と銃後の国民への思い
明治天皇の公式のお気持ちは詔勅に表わされる。さらに深いお気持ちは御製(和歌)に表明される。明治天皇は生涯9万3000首もの和歌を詠まれた、その質、量ともに日本最大の歌聖だ。
◆さまざまに もの思ひこし ふたとせは あまたの年を 経しここちする
(歌意:国難の2年間の物思いは、平時の20~30年分に相当する心地がする)
明治天皇は冬はストーブをたくことをやめられ、炎暑の夏は冬服の軍服を着続けられた。あくまでも戦場にある将兵と労苦を共にするというお覚悟だった。
◆しぐれして 寒き朝かな軍人(いくさびと) すすむ山路は 雪やふるらむ
◆暑しとも いはれざりけり 戦(たたかい)の場(にわ)にあけくれ たつ人おもへば
御製は侍従武官によって第一線の将兵たちに伝えられ、将兵たちは涙したという。「このような天皇陛下を戴く我ら国民、こんなありがたいことはない、この戦いに負けたら日本は滅ぶ、絶対滅ぼしてはいかん」と決意し、人間の力以上のものを発揮した。勝ち目のない戦いを勝ち抜けたのは、この君民一体の思いが奇跡の力を発揮したに他ならない。
明治天皇は、戦死した9万の将兵に哀悼の誠を捧げられた。
◆国のため 命をすてし ますらをの すがたをつねに かかげてぞみる
戦死した将兵は靖国神社に神として祀られた。さらに明治天皇は皇居内に建安府という建物をたて、そこに戦病死した将校の写真及び下士官兵卒の姓名を列記した巻物を安置された。天皇は戦死者名簿が届くたびに、深夜に及ぶまで1人1人の名前を丁寧に読まれたという。まことの極みだ。
◆世とともに 語り伝えよ 国のため 命をすてし 人のいさをを
(歌意:国の為、世の為に命を捨てた人、その功績を高く仰いで永遠に語り伝えよう)
明治天皇のお歌は私たち日本人の心魂に強く響く。私は20代でこの歌を知り、「日本の国の為、人の為に尽くした人の話を漏らさずに知らなければ、この明治天皇の御製に背くことになる」と思った。以来、偉人英傑の伝記を読み続け、今日に至っている。
銃後の国民(戦いに行かない国民)への思いも厚い。
◆子等はみな 戦(いくさ)のにはにいではてて 翁やひとり 山田もるらむ
(歌意:若者は皆戦争に行き、残された老人が田畑を守っている)
◆国思ふ みちに二つは なかりけり 軍(いくさ)の場(にわ)にたつもたたぬも
(歌意:国を思う気持ちに違いはない。戦の場に立つ者も立たない者も)
まさに、挙国一致の戦い、天皇陛下と国民の心が一つだった。
●乃木希典(のぎまれすけ)と東郷平八郎(とうごうへいはちろう)
日露戦争において、もっとも力の限りを尽くしたのが軍人だ。その代表が、乃木と東郷である。彼らは、国民的英雄だ。昭和20年までの日本人にとって、乃木と東郷は最高の誇りだった。現代人は忘れている。
日露戦争において真の決勝戦は旅順攻囲戦だった。難攻不落の要塞を築いていたロシアの戦力を日本は三分の一に見誤り、乃木大将は難戦苦戦し、第1回、第2回総攻撃は敗北。実情を知らぬ国民は乃木の統率が拙劣だとし、山県有朋参謀総長も乃木更迭を決意したが、明治天皇は「乃木を代えたら乃木は生きておらぬぞ」と却下。
乃木は天皇のご信任に感泣感奮し、全将兵が人間業以上を発揮し命を捧げて惜しくないという気持ちで戦った。乃木は子息をも戦死させる厳しい戦いの末、ついに奇跡的に旅順を落とした。
最後まで乃木に任せた明治天皇の洞察力、人物鑑識眼は神業だ。ここに、明治天皇のまことの偉大さがある。
海戦の東郷平八郎もまた、明治天皇の深い信任を受けた。東郷交代説が出た折に「いかん、東郷を交代させてはならぬ」と強く山本権兵衛海相に厳命された。東郷はバルチック艦隊を迎え撃ち日本の最終的勝利を確定し、イギリスのネルソンを凌ぐ世界一海将として世界に仰ぎ見られることとなった。
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