政経倶楽部【東京】第112回例会(朝食会) 4/10木
日時:2014年4月10日 開会:~ (開場:)会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
乃木希典と乃木静子
■講演 岡田幹彦氏 歴史人物研究家・日本政策研究センター主任研究員
「乃木希典と乃木静子」
【岡田幹彦氏プロフィール】
昭和21年北海道生まれ。国学院大学中退。学生時代より、日本の歴史、人物の研究をつづけ、月刊『明日への選択』に多くの人物伝を掲載中。『歴史街道』『歴史通』などにも寄稿。平成21年~22年(毎週)産経新聞に「元気のでる歴史人物講座」を連載(103回)。全国各地で歴史人物の講演活動を行っている。
著書は、『東郷平八郎』『乃木希典』『小村寿太郎』(展転社)、『日本を護った軍人の物語』(祥伝社)、『日本の誇り103人』(光明思想社)、『二宮尊徳』『維新の先駆者』(日本政策研究センター)ほか多数。
●司馬遼太郎史観の「乃木愚将論」は終わった
昭和40年ごろまでの日本人は、日露戦争の英雄、乃木希典と東郷平八郎を誇りに思い、崇敬の念、親愛の情を抱いていた。旅順戦後の乃木と敵将ステッセルの会見を描いた「水師営の会見」は小学校唱歌となり、子守唄かわりにも聞くなど日本国民誰もが歌っていたほどだ。
しかし、国民的大作家、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で乃木は愚将と描かれてしまったがゆえに、以来40年間程乃木愚将論が世をおおった。
私は司馬ファンではあるが、乃木愚将論だけは納得いかず、乃木希典の真実を世に伝えたく、乃木の資料や伝記をあらかた読み、13年前に1冊の本にまとめた(『乃木希典』(展転社))。
この私の本に共鳴してくれた編集者たちによって、昨今、人気歴史雑誌『歴史街道』(PHP)や『歴史通』(ワック)に乃木希典が特集された。
歴史をよく学んでいる人たちの中では、すでに乃木愚将論は終わった。
●明治の一大困難、日露戦争になぜ日本は奇跡的に勝利できたか
明治の一大困難、日露戦争になぜ日本は勝利できたか。
今日は、日露戦争において最も大きな働きをした陸軍の雄、乃木希典大将と乃木静子夫人を通して考えていきたい。
明治37年2月4日の御前会議で対露国交断絶が決まる。戦う以外に日本民族の生き残りの道はなかった。戦わずしてもやがて亡国の運命が待ち受けている。
この基本認識を知らずして、明治時代と日露戦争を語ることはできない。
●日露戦争開戦。世界一の陸軍大国ロシアとの戦いに挑む決意
日露戦争は本来ありえぬ戦いで、万が一起きても絶対に勝てない。世界中からそう思われていた。
20世紀初頭の世界情勢を見ればそれは当然だ。世界4強(イギリス、ロシア、フランス、ドイツ)の有色人種に対する植民地支配は最終段階に至り、舞台は東アジアに達しており日本への侵攻も迫っていた。ロシアがまず日本に手をつけ千島列島を完全に占拠した。ロシアの一国支配は許すまじと、英仏独そして米国もやがてやってくるだろう。日本は何としても亡国を回避するためにロシアと戦わざるを得なかった。
初めて行う白人国家との戦いであり、しかも相手は世界一の陸軍国ロシア。日米開戦の決意より難しかったと思う。日本史上、最大級の国難だった。
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