政経倶楽部【東京】第99回例会 3/7木(朝食会)

日時:2013年3月7日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

わたしという生きかた

■講演 谷口(たにぐち)郁子(ふみこ)氏 イムノエイト(株)代表取締役社長・政経倶楽部幹事
「わたしという生きかた」

【プロフィール】1959年生まれ。共立薬科大学卒業後、昭和電工(株)にて新薬の開発に携わる。結婚、妊娠を期に退職後、調剤薬局勤務を経て、1989年、地域に密着した調剤薬局をめざしイムノエイト株式会社を29才で設立。93年には、病院経営学を学ぶため渡米し、イムノコーポレーションUSAを設立。その後、介護支援事業も展開。現在、イムノグループ代表として、コンサルタント事業等幅広い事業展開をし、社会貢献を第一に、医療と介護施設の充実「医療(キュア)と介護福祉(ケア)の橋渡し」に力を尽くしている。企業理念は「顧客の医療から介護福祉にわたるサービスを医療の担い手として実直に提供し続ける」。2002年、「世界優秀女性起業家賞」を受賞。内閣府男女共同参画局チャレンジ支援ネットワーク委員、宇宙航空研究開発機構(JAXA)JEM応用利用推進委員会等、数多くの公職にも就任。近著に「あきらめない主義~自分を始める30の視点」幻冬舎刊。

 おはようございます。“地球人”の谷口郁子(ふみこ)です。今日は、私の24年に渡る仕事や社会活動のエッセンスを、お話させていただきたいと思います。
 11年前、2002年に「世界優秀女性起業家賞」を受賞してから、本業以外に様々な仕事や政府の委員などをさせていただくようになりました。
その一つ、「JAXA(宇宙航空研究開発機構)」の政策委員の活動のおかげで、宇宙から地球を見る視点が養われ、以来“地球人”の谷口と申しております。
 私は、薬剤師であり、ケアマネージャーであり、病院の経営コンサルタントです。この3つのライセンスで国内3社、米国1社、中国1社の社長をしています。毎年お正月の箱根駅伝の鶴見中継地で、弊社の薬局イムノファーマシー本店が映し出されます。来年開設25周年。私は四半世紀、社長をしております。

●「宇宙が見る夢」(JAXA JEM応用利用推進委員「きぼう」有償利用外部評価委員)~宇宙では「地球生活」に役立つ実験を行っている
 地上400キロの上空にISSという国際宇宙ステーションがあり、地球を90分で1周しています。ここに日本の実験棟「きぼう」があり、薬を作ったり、たんぱく質の結晶を作るなど様々な実験を行っています。
不景気なのに予算5000億円も投入して何をやっているのか、とご批判もありますが、「微小重力」の環境下では、高齢者の「寝たきり」や「褥瘡」はありませんし、そのような地上の生活に深く関わる実験も行い、「地球生活」に還元することも大いにやっているということをご理解いただければと思います。
  
●2002年世界優秀女性起業家賞受賞
The Leading Women Entrepreneurs of The World
この受賞をきっかけに仕事の幅が広がりました。この時のパリのエッフェル塔で行われた授賞式で、日本のお国自慢を、私は3つお話しました。
まず1番に、日本は長寿で世界でいちばん幸せな国であること。2番は、世界に誇る国民皆保険があり誰でもフリーアクセスで医療と介護が受けられること。3番は、和食。この和食が長寿をもたらす健康食であったということ。 
しかし、実は国民皆保険には問題もあることも事実です。

●国民皆保険の問題点
 国民皆保険は、このままでは、財政的にもう成り立ちません。昭和35年に施行された国民皆保険は、ピラミッド型の人口構成で、右肩上がりの経済成長だったからこそ成り立っていた制度です。
 この「国民皆保険」は制度そのものは素晴らしいので、私見ですが、制度ごと発展途上国に売って、医療と介護福祉の産業化をしたらよいと考えています。

●「わたしという生きかた」3つの波+α
~3つの波に乗ってうまく事業を立ち上げてきた
① 1989年「医薬分業」元年に、調剤薬局開設で起業
 私は1982年薬科大学卒業後、昭和電工に入社し、新薬の開発に携わりました。放射線の研究をしていたので妊娠を機に退社しましたが、その後社会復帰し、1989年に調剤薬局としてのイムノエイト株式会社を設立しました。
それはいわゆる1990年代から本格的になる「医薬分業」の直前のことで、弊社は「かかりつけ薬局」「地域薬局」「ケアミックスファーマシー」と薬局の形を進化させてきました。起業当時はまだ、病院内で薬が処方されるのが一般的で、処方箋薬局は少なかったのです。
 起業2年後には「ナイチンゲールストリート」という形で、薬局の周りに、内科、外科、小児科、眼科…と医療機関を誘致するという独自の経営戦略を進め、現在、箱根駅伝の鶴見中継地、弊社の薬局本店の周りには、10の医療機関を持ってくるまでになっています。
② 2000年「介護保険」施行。介護支援事業所第1号を立ち上げる
 10年後の2000年には介護保険が施行されました。私は1993年から98年まで病院の経営コンサルタントの勉強も兼ねてニューヨークで生活していました。が、介護保険の事を知り、急遽帰国。ケアマネージャーの資格を取り、介護支援事業所第1号をいただき、事業展開していきました。
これが、後述の「タウンヘルスケアステーション構想」につながります。
③ 2010年~11年「新成長戦略」に医療と介護が選ばれた
10年後、医療と介護福祉が日本の新成長戦略の産業として認められました。WHOの中では日本の医療のクオリティはトップだと言われています。ならば素晴らしい日本の医療を世界に売ってしまおうと志をたて、中国の富裕層をターゲットにした日本へのメディカルツーリズム(医療観光)を手掛けています。
④ 2008年ジェネリック元年。薬剤師が代替調剤できるようになった
2008年にジェネリック医薬品(特許が切れた医薬品)を薬剤師が代替調剤できるようになりました。病院の処方箋にドクターの「ジェネリックにしてはだめよ」というネガティブチェックがない限り、薬局で薬剤師の権限でジェネリックに替えることができるようになったのです。これは画期的なことでした。弊社はなるべく多くのジェネリックを揃えて患者さんにコストパフォーマンスも含めてご提示するようにしています。

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