政経倶楽部【東京】第93回例会 9/13木(朝食会)

日時:2012年9月13日  開会:~ (開場:)
会場:ルポール麹町 東京都千代田区平河町2-4-3 TEL03-3265-5365 有楽町線「麹町駅」 1番出口より徒歩3分. 有楽町線・半蔵門線 「永田町駅」 5番出口より徒歩5分.
 

政治に対する大不信感の時代、本物を見極める力とは何か

■講演:林英臣 政経倶楽部連合会主席顧問
「政治に対する大不信感の時代、本物を見極める力とは何か」

 本物とはひとことで言えば、時代を通して変わらないもの。そして、その国が持っている天性。日本らしさがなければ、日本の政治としては本物ではない。
では、日本とはどういう国か、日本の原点とは何か。原点から歴史を貫いて、今日に伝わり、また将来にわたって絶えることなく存続させていくべき軸とは何なのか。今日はそんなお話をしたい。

●国民の意識レベルが低い
【危機を直視し、国是(国家の目標)を持つ】
 時間軸を見なければ本物を見極められない。だが、実態は、今という時代がわからず将来がとらえられない。これは日本だけの問題ではない。今、世界中が将来の夢を失っている。
 良いか悪いかは別として、一昔前はアメリカンドリーム(資本主義国家としての成功)という一つのモデルがあった。一方、資本主義に代わる社会主義体制で、人類の希望を構築しようという動きもあった。
 松下幸之助は、「国家にとって一番問題なのは目標がないこと」と言った。目標がなければ腹の底から力が湧いてこない。だから何よりも目標を持たないといけない。国家の目標を国是という。国是を持たなければならない。
 国民の意識レベルの低さは、国是がなく、どの方向に向かったらよいかわからないところに原因がある。
タイタニック号のような大きな船を例えに言えば、このままでは日本丸は滝壺に落ちてしまう。だから全員で、滝壺に落ちないよう正しい針路に進む努力をすることが肝要だ。だが、船に乗っている連中は船の暮らしのことばかり論じている。部屋の絨毯が古いから換えてほしい、カーテンを季節の合うものにしてほしい等々。今の最大の悩みは、今夜の船内パーティに着ていくドレスが見つからないこと。船内の政治家は、御用聞きしかしていない。滝壺に落ちる危機を一番に訴えなければいけないのに。だが、それを訴えても票にならない。だから滝壺に落ちるまで残り汁をすするしかない。この現実を直視することから日本再生がはじまるのだ。



●文明周期800年論
 「今をつかむ」ために理解しておかなければならないことは、今は文明交代期だということだ。大雑把に言って世界は東(中国・インド・西アジア)の文明と西(欧米)の文明に分かれる。これらが800年ごとに入れ替わってきた事実がある。そして、今、21世紀が今回の交代期だ。これは100年かかる。変動が一番激しくなるのは、2025年から2050年ぐらいだ。
 こういう時期は膨張国家が現われる。20世紀まで続いた欧米文明に止どめを刺す役目を果たすのは、中国だろう。中国は今、世界中に軍港を作り、あるいはアフリカやロシア極東に“民族移動”している。
 アメリカは今年大統領選挙が終われば、大幅減税が終わり緊縮財政を組まなければならなくなり、景気の失速がかなりの確率で起こると言われている。ヨーロッパも混迷を深めている。中国とて、いろいろな方面の経済統計はあきらかな減速状態にある。世界経済の成長は難しい。成長のない中でどうやって人類生存を確保するかということを、私たちは真剣に練らねばならない。そういう時代に入っていることを覚悟しなければいけない。
 だからこそ、政治が他人事ではない。我がこととしてとらえなければならない。国民一人一人が政治にかかわらねば、誰がこの国をよくしていくのか。国民の意識レベルを何としてもあげなければならない。

●民主主義が政治をだめにした!?
【「場当たり、横並び、先送り」の民主主義から脱却を】
 国民の意識レベルをあげるためには、民主主義を見直さなければならない。
戦後の民主主義3原則は、「場当たり、横並び、先送り」だ。とにかく場当たりで考えていくだけ。どうしたらよいか困ったら両隣を見る、あるいは先例を見る。いよいよ困ったら先送り。
 デモクラシーは「デモス(人民、民衆)のクラティア(制度)」の意。戦前、吉野作造は「民本主義(=民がもと)」と的確に訳した。ところが、いつのまにか「民主主義」と呼ばれ、「主」が曲解され、勝手主義、悪平等になり、個人主義が進んだ。その結果、国民が小粒化した。
 これは明治からの現象だ。明治時代に、デモクラシー、自由平等、人権思想が日本に入り、これが「人物」の否定につながり、「英雄や豪傑になんかなりたくない」という発想になった。明治の日本人がしっかりしていたのは、指導者たちが幕末の士(さむらい)教育を受けていたからに他ならない。
 明治以降の教育は、着々と無国籍化、人物小粒化に進んでいった。士精神を持った指導者たちが第一線を退き、大正時代の指導者たちは、信念や世界観、歴史観、国家観として腹に据えるものを見失った。

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